こんにちは、6/20の月曜日に演劇ワークショップ♯2を開催しました。
やる人のナスカ(成田明加)です。
前回は体を使ったワークショップですが、今回は何か声を出してみたいなぁと思い「戯曲」をみんなで読んでみるワークショップにしました。
「戯曲」というものは不思議なもので役者であったり、演劇をやってる人にとっては身近なものでありますが、そうではない人って、距離すら感じる本のジャンルではないでしょうか?
「戯曲」を一人で読むと、登場人物の名前を追うだけで頭に入らなかったり、シチュエーションが理解できなかったり、小説とは違って描かれていないところが多いので、馴染みのない人は手に取りにくいのではないかと思います。
しかし、「戯曲」はその描かれていないところこそ、想像力があって、発想があって、読む人によって多様である面白さがでる書物なのです!!
今回は、短くて、なおかつみんなが知っている作家さんの作品で、誰もが知っているわけではない作品をということで、三島由紀夫の近代能楽集の「班女」という作品を取り上げてみました。
三島由紀夫の近代能楽集とは、
能の謡曲を近代劇に翻案したもので、自由に時間と空間を超える能楽の特質を生かし、独自の前衛的世界を醸し出しているこれらの作品群は、写実的な近代演劇では描ききれない形而上学的な主題や、純化した人間の情念を象徴的に表現している。。。
とWikipediaには、書いてあります!
「班女」とはもともと世阿弥作と思われる能の一つで、恋する吉田少将の残して行った扇を持った遊女の花子(はなご)が、物狂いとなって都へ上り、少将に再会する。というお話です。
これをもとに三島由紀夫が当時の現代に置き換えて書いたものが今回読みました「班女」。
登場人物は3人。
狂女 花子(はなこ)
老嬢 実子(じつこ)
青年 吉雄(よしお)
これをすこしづつ区切りながら、参加者のみなさんでセリフを掛け合っていきました。
今回の参加者さんも多種多様な、みなさん。
長野県内で戯曲を読む会をやられている方、松本で演劇をされている方をはじめ、むかし演劇部や演劇をやっていたのでちょっときてみた人。
ぜんぜんやったことないけど、たまたまKnower(s)にいたらやり始めたので参加された方。
おお!すてきな凸凹感で、7人くらいのみなさんがお集まりくださいました。
ありがとうございます!!
私が始めに経験から、
「みなさん初見なので、感情をいれることで迷子になっちゃうと思うのでフラットに読みましょう!ゆっくり自分のペースで、誰に言っているかや、疑問を持ちながら読んでみましょうか」と提案しつつ、短く区切って、読んでいってもらいました。
が、この「班女」冒頭のシーンが実子さんという40歳画家の歪んだ感情の独白(一人でしゃべるシーン)役、2ページ!!
まだ、物語の全容が分からない上に、実子さんという人どんな人か分からないのに、難しすぎる。
しかし、みなさん、めげることなく、ちゃんと自分の中で理解をしながら読み進めてくださいました。
どうやらこの実子さんは、とある男を狂いながらも待ち続け、実子さんの家で暮らしている花子さんのことが新聞に載ってしまい、花子さんとの生活が崩れることを怖れ旅に出ようとしているところ、とい冒頭でした。
そこで話は、狂女の花子さんが登場するのですが、実子さんのやり取りが普通じゃない!
花子:私疲れた。ねえ、実子さん。私今日も一日待ったのね。
実子:私はものを待ったことなっか一度もない。
花子:あなたはそれでいいのよ。あなたは待ったりしなくていいのよ。でも世の中には、待たなくてはならない人もいるのよ、私、体の中が待つことで一ぱい。夕方には夕闇が、朝顔には朝が必ず来るのに、待つ、松、そう、私の体のなかはちくちくする松葉で一ぱい。
こんな、可笑しなやり取りをただ聞いているのは、なんだかもったいなくなり、いちいち気になったセンテンスには、僭越ながら止めさせていただきながら、みなさんにどう思ったかディスカッションしながら共有していきました。
だんだん、みなさんもその内容や、世界に入りこんでゆくのか、言葉が生きづく瞬間というのがチラチラ見え隠れするようになっていきました。
そこで、「セリフをかけるものに具体的にかけてゆく」ということも交えながら、組み合わせも変えながら読んでみました。
実子さんと、花子さんの旅に出る、出ない。男を待つ、待たないのやりあいは、花子さんが疲れて、お昼寝にいってしまうことで、一度終息します。
花子:一寸枕に頭をあずけて、一二時間眠ればいいのよ。そうすれば私、眠っている小さな島みたいに見えるでしょう。舟著場をひろい海のほうへ向けて、来る日も来る日も、沖のほうを真赤な入日を透かしてとおる帆舟のひとつが、こちらへ向かって来はしないか待つうちに、眠りこけてしまう小鳥みたいに。昼間も月が出、夜もお日様がかがやいて、時計はもう役に立たないの、その島では。私、時計を捨ててしまうわ、きょうから。
どんどん、情念が移り変わってゆく様が、なんともいえない美しさと狂気に誘われます。
そして、物語は吉雄という男の登場で加速していきます!
どうやら、吉雄という男は、花子さんが狂いながらも、待ち続けた男なのです!!
新聞に載った花子さんの記事をみて、実子さんのうちに花子さんを探しにやってきたのです。
まぁ!実子さんの一番怖れていたことが!!!
物語も動いたことで、みなさんの読む声が具体的に方向性がでてきました。
私的には「演じなんとなく私が最初に伝えられなかったのが、フラット=棒読みを意識されていた方が多かったようでる(色をつける)ことでやりとりが見失っちゃうともったいないな」ということで「フラット」という言葉を使っていたので、どんどん具体的になる上での自然な感情、抑揚はOKだったので、
この時点であえて、「フラット」ということ気にせず、やりとりを楽しみましょう!と再提示させてもらいました。
吉雄:(不敵な微笑)それではもし仮りに僕が、またあの人を不幸にするためにここへ来たのだとしたら・・・・・・。
実子:あの人の不幸は美しくて、完全無欠です。誰もあの人の不幸を手出しすることはできません。
吉雄:それなら僕を会わせることを、そんなに怖がらないでもいいでしょう。
実子:怖がる?ええ、私は自分の仕合せは大事にします。
吉雄:とうとう本音を吐きますね。
実子さんと吉雄さんが出会うことで、花子さんとの吉雄の関係も明るみになっていくのですが、そして、実子さんの歪んでいる愛情も衝突していきます。
それぞれの、吉雄像、実子像も膨らみ始め、女性と男性で見方が変わったり、どれも間違いではなく、それぞれが感じたものが目の前で生きたものになっていくのがだんだんわかります。
実子:私は誰にも愛されない女ですわ。子供のときからそうだったんです。だから私は何も待ちませんでした。きょうまでずっと一人できました。そればかりじゃありません。万一私を愛する人が出て来たら、その人は私は憎むだろうと思うまでになりました。私を愛するなんて、男として許せないことですわ。
なんでしょう。すごく歪んでいて、狂っているなぁと思う言葉にも、すごく実感があるのです。
自分ではない誰かの言葉なのに、実感として言葉にするのはとても難しいことなのですが、みんなそれぞれ、ふつふつと、実感を当てはめていっている姿が、みんな違って面白い!!
最後、花子さんが戻ってきて、とうとう吉雄さんと出会っていきます。
しかし、花子さんは吉雄さんを見て違うといいます。
そして吉雄さんは去っていき、また、実子さんと花子さんの生活がはじまるのです・・・・。
花子:さっきここへ人が来たわね。あれ誰?
実子:来たかしらん?
花子:たしかに来たわ。御用聞きか何かだったのね。
実子:そう。
花子:大きな声で何か言ったわ。私、あんな大きな声でものをいう人きらい。
実子:そうね。・・・・・・私もきらい。
一通り、読み終わったあとで感想というか、みなさんでこのお話の解釈、妄想、いろいろ話し合いました。
今ではない時代なのに、それぞれがどこか自分の中にある、それぞれの役の部分を見いだしたり、それを読んでる相手にそれを見たり、普段、なかなか誰かに向かって口にはしない耽美な言葉に、違和感や、共感を得た不思議な時間でありました。
嬉かったことは、初めて「戯曲」をこんな風に読んだ人が、
「これをやりたい」
と言ってくれたこと!
やりたい!って人がいたらKnower(s) で、稽古して上演も夢でないのかも!と夢が広がりました。
そうなったら、豊かだなぁ。
もっと、いろんな垣根や畑を越えて、または同じ畑でも転がって、演劇ワークショップ、遊びながら、つくってゆけたらと思います!!
7/23土曜日 13:00-16:00の予定です!
次回は現代の戯曲を声に出して読んでみようかと検討中。
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