まつもと市民大学Day2授業レポート!「ダブルローカルを迎える意識」

Category : まつもと市民大学

11/18、東京の清澄白河と新潟県十日町の松代(まつだい)に拠点を構える「gift_」のおふたり、後藤寿和さんと池田史子さんをお招きし、まつもと市民大学 Day2「ダブルローカル」を開催しました。 ふたりの提唱する「ダブルローカル」とは。 授業では、そこへと至る経緯から紐解いていきます。その話を丁寧にレポートすると、文章的には、時間軸を追って単に彼らのプロフィールを追う形になるので割愛しますが、その源流は、大きくはCET(セントラルイーストトーキョー/2000年代中頃にかつて東京の中心部であった日本橋を、デザイン、アート、建築の観点から「再発見=創造」するための運動。)と、2011年の東日本大震災にあったと言います。 当時おふたりが勤めていた会社が中心となって企画していたCETでは現在のR不動産などに至る、地域の不動産ストック(かつてはストックでさえなかった、さまざまな土地に点在した使われなくなった建物、ゴミ同然の感覚で、その大きさゆえに扱いに困っていた)を使い、インスタレーションやイベント企画に利用した価値観の変容。東日本大震災では、第一線にいる人たちにとって活動の場は東京しかなかった(という価値観だった)時期には想像もできなかったようなフィールドを地方に移すという出来事。 そのふたつがなければ、十日町の物件について話を聞いた時に反応しなかったそうです。 (同時に長野県に住み続けている人間にとっての3.11の感覚と、東京で3.11を体験した感覚では大きな差があることを前提としなければ、案外その感覚は理解できないのかもしれないな、とも思いました。) そういった中で出会った物件で「カフェとゲストハウス」という事業をはじめつつ、当時に東京にも拠点を持つ、半移住のようなスタイル。 後藤さん池田さんのふたりがそれぞれの土地に真摯に向き合った(もちろん自分自身にも。続けることを前提に無理のないやり方を考えた)結果、2つの場所、それぞれを「地元」として行き交う「ダブルローカル」に行き着いたのだろうと想像します。 そこから自然なことのように、東京でもカフェをはじめたそう。デザイナーが自己表現の一環として(考えていることをわかりやすく伝える手段としての)店を持つこととは異なる、地域との関わり方の手段としての店。そのそれぞれの活動のなかから「ダブルローカル」が提唱されていきます。 移住の失敗事例として聞くなかに「地域のしがらみ」がありますが、そこともうまく付き合っているな、という印象。 地域の行事もいないときはしかたない、と見られている。地方在住の人間にとっては驚くような状況で、もちろんおふたりの人柄にもあるのでしょうが、いわゆる移住の話を松本でした理由も実はここ。人口減少社会のなかで、完全移住ではなく、2箇所以上を拠点するような暮らしをしたい人がいたときに受け入れ側としてどういった感覚でいるべきか。 それぞれがどう関係をつくっていくかを考える機会となれば、という願いからでした。 一般的な移住施策なんて、税金を使った自治体同士の殴り合い、先の見えている消耗戦でしかありません。 関係人口なんて言葉が指し示すように、単に住む場所を変えるのとは違った形の人口流動が既に始まっている中で、単に引越ししてきた人を迎えるだけ感覚で地域側がいていいのか。 子どもが産める女性の数ではなく、受け入れ側の感覚が入る側の感覚に寄り添えたとき、その地域は残っていくのではないか。その提示でもありました。  参加を含めたディスカッションでは、問いを「妄想ダブルローカル」と立て、東京在住じゃなくてもできるダブルローカルをするなら?ダブルローカルがこの地域に増えるなら?という話に。 そのなかで面白かったのは、ダブルローカルは居住地の話だけではなく、居場所の話でもあるという後藤さんの話。 サードプレイスのような感覚の延長線に、もうひとつの家や仕事場を持つ感覚だったり、仕事のようなコミュニティへの参加。それもダブルローカルなんだ、と。 大都市圏、特に東京とどこか地方という関係ではなく、地方と地方でもいいし、その地域のなかにふたつ居場所を持つことでもいい。 主従の関係ではなく、どちらも大事で同じ重さ。これを重たいと思う人もいれば、自由な感覚だと感じる人もいるでしょう。 たいへんだと思えばやめればいい、合う合わないはきっとある。 ダブルローカルとは、そこにある感覚の「軽やかさ」なのかもしれないな、と思いました。

B!
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