まつもと市民大学キックオフトークレポート!!「人が「動く」ことで突破する」

Category : まつもと市民大学

まつもと市民大学のキックオフに越後妻有アートトリエンナーレや瀬戸内国際芸術祭を手がける、アートディレクターの北川フラムさんをお呼びし、2017年に大町で初開催された北アルプス国際芸術祭をはじめ、全国で多く芸術祭が開催されている現状や、芸術や美術とはなにか、それらを取り巻く現状についてお聞きしました。

「長野は大阪に似ている」長野県に住んでいて違和感のある言葉からトークはスタートしました。まったくイメージしていないその言葉。北川さんは水都大阪(※2009年より大阪市内各地で開催された体験型アートプログラムやワークショップなど多くの企画が開催されている)にも関わっていて、そのなかで感じられたことで、ひとつひとつの動きがいっぱいあって、プライドが高い。そんな背景に共通項があるそうです。そして、そういった長野だからできた芸術祭が北アルプス国際芸術祭であったと。(20年前、まずは1回めをやってみようとなった新潟とは異なり、大町では最初から大反対だったそうです。)
いま、芸術祭のように芸術が地域の資源をアピールするものだとすると、いくつかの要素が必要であると言います。ひとつめは大前提となる「土地の力を見るアーティスト」。最初は理解されないことが多いようですが、「格闘(議論を含めた多くのやりとり)を経て、学習し、地域がひらいていくこと」。その次は、スタッフやボランティアだけでなく、「その土地に住む人たちが関わっていくこと」、最後に大前提ですが「アート自体が面白いこと」。それらの要素を揃えて進めていくと、オセロゲームのように劇的に変化していくようです。芸術を「理解」しよう、させようとすると難しく、体験から感じてわかることのほうが人を地域を動かしていくのでしょう。そういった動きに、元々あったひとつひとつの動きが反応していってできた芸術祭。それが北アルプス国際芸術祭であったようです。

対して全国的な動きとして、いま流行りのように芸術祭が開催されています。これには多くの批判があって、実際必要ないのではないか?というほどの企画が立ち上がっています。おそらく毎年日本の何処かで規模を問わず芸術祭が開催されている現状。頻発化によるレベル低下、そんなことも考えられます。
対して、日本では2400万人の人が観光で動いていると言われています。そのなかで芸術を求めて動いているのが1割。実はこれは新しい底流ではないか。また今国連が観光と言っているそうで、Face to Face(が大切)だと。排他性と外国に行ったことのない率が比例するそうで、そう考えると、人の移動が世の中を突破するものが多くありそうです。
広場としての役割もあります。かつて広場は多くの役割を担ってきました。集会の場であり、コミュニティの場。そういった広場の役割を芸術祭が担い始めている現状もあるそうです。実際、ハンセン病の大島を題材にした作品が、厚労省を動かした、というようなことがありました。同じような瀬戸内のいろんなところで起きている。そういった芸術祭を通じて起きているそうです。

都市だけでなく、日本のさまざまな場所で「生きていく」こと。どうしても関係のない、手の届かない部分として思いがちな国や社会というものをどう捉えていくか。芸術祭はその作品とあり方を通じて、私たちにそっと問うているような気がしています。北川さんのお話は、直接的な提示ではなく、それらが「ある」状況を感じるための知識を与えていただいたのだと思います。

B!
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